徐州冬日記:寂しさを嘆かず、楽しさを語る

詩詞が詠う冬は常にいくばくかの寂しさと悲しみがつきものだ。南へ飛び去る雁が空を横切り、散った落ち葉は小道を埋め、しおれた秋草には霜の華が咲き、別れを愁う気持ちが寒風と共にひそかに胸にこみあげる。しかしだからといって、冬には寒さや寂寥感しかないと決めつけてしまうなら、あまりにも多くの美しさを見逃してしまう。じつは、冬の美しさは本来純粋なものなのだ。特に徐州の冬には、愁いを嘆くのではなく、ただ心地よさを語りたくなるなにかが隠れている。

まさに白居易が「晚来天雪ふらんと欲し 能く一杯を飲むや無や」(夕暮れになって雪が降り出そうとしている。ともに一杯やらないか?)と詠んだようなのどかさ、そして冬の爽やかさと透明感は、大自然のなかでこそ余すことなく発揮されるものだ。徐州の冬、地面一面にはとっくに「ザクザク」と音を立てる金の絨毯が敷き詰められている。次第に冷たさを増す寒風は時に肌を刺し骨身にしみるが、その代わり枝先にはまた違った景色――目を奪う金色の輝きやオレンジ色――が広がる。空さえもいっそう深く澄み渡り、万物は雑多さを脱して静寂へと帰する。どこをとっても心安らぐ平穏な風景が広がっている。

そんな冬の日は、徐州で暖かな日だまりを見つけてぼんやりするのがいちばんだ。柔らかな陽光を浴びて、気の向くままにぶらぶらすれば、寒さや悩みは温もりが追い払ってくれる。気ままにカメラを掲げ、鮮やかな枝先、足元の金色の絨毯、深く遠い空を構図に収め、今日だけのこの冬景色をアルバムに永遠に留めよう。今、銀杏と紅葉は次第に散り、色彩はゆっくりと褪せつつあるが、しかしそんな今こそまさに徐州の冬の懐に飛び込み、この街の純粋さを感じ、この街の温もりを抱きしめ、寂しさを嘆かない冬の歓喜の歌に出会うための絶好の機会なのだ。