蘇州の初冬:暖色の詩意を巡る

「ぼろを出さない」ことをもっとも心得ているのは、おそらくカキの木だろう。カキの木は天候や環境の条件が揃わない限り、普段は木々の間に埋もれて目立たずにいる。夏の盛りに枝を飾る青い実でさえ、大きな葉の後ろで気恥ずかしそうに隠れているだけだ。ただし、秋の気配が次第に静まり、初冬が訪れようとするころ、まばらになったカキの葉がもはや枝いっぱいに実った赤い提灯のようなカキの実を実を隠しきれなくなると、人々ははっと気づく。「そうか、もうひそかに冬が来ていたのか」と。地下鉄4号線北寺塔駅・4番出口からエスカレーターでゆっくりと登っていくと、「一枝の紅柿、牆より出で来る」(赤いカキが一枝、垣根から顔を覗かせる)という絵巻物が突然目に飛び込む。紺色の空をバックに、青レンガと白瓦の傍ら、枝を彩るカキの実たちが葉の間から顔を覗かせていて、その魅力的な姿は美しく生命力に満ちている。高さ76メートルの北寺塔と一緒に額縁に収めれば、古塔の荘厳さと生き生きとしたカキの実が織りなすコントラストが独特の風情となる。

本色博物館の詩の趣は館内の一角に潜んでいる。足を踏み入れると、色鮮やかで物静かな空間へと突き落とされ、心を落ち着かせる不思議な力がひっそりと広がっている。木陰の休憩所を見つけ、目の前に広がる絵のような景色を眺めながら、熟しきったカキを大きくかじれば、清らかな甘みが舌先に広がる。その満足感は単純かつ純粋だ。一歩ごとに違った景色がある庭園や、「小橋に流水」の江南の家並みに比べると、蘇州の街並みはいつも控えめだ。しかし、決してその絶景を長い間隠したままにはしない。初冬が訪れると、平凡な路地は美しく鮮やかな色彩に染まり、冬でさえも名残惜しく感じられるほど美しく彩る。

滄浪亭の北側にある滄浪亭街は、私の心のなかで常に特別な存在だ。その景色は水墨画と細密画が融合した傑作を彷彿させる。おそらく数千年の間、滄浪亭、可園、顔文樑記念館の隣にあったからだろう。ここの風景は、そのひとつひとつがまるで詩詞や絶句から抜け出してきたようだ。初冬の滄浪亭街で最も心を打つのはなにか。それは木々の色彩に勝るものはない。深い緑、明るい黄、燃えるような赤が、青空とレンガや瓦を背景に描き出す絵画、その一枚一枚が見る者の琴線に触れる。

多彩な滄浪亭街とは異なり、道前街の初冬は一つの色を極限まで追求することを好む。その晴天の美しさは特に感嘆すべきだ。通りの両側には美しくみずみずしい緑が広がり、銀杏の葉が陽光を浴びてほのかに黄色く色づいている。もう何日か経つと、きっと金色の海と化すことだろう。金獅河沿は蘇州の通りの中では「異端児」だ。ここは姑蘇のしとやかで上品な気質を壊しているだけでなく、その名前にさえもどこか「高貴な態度」が漂っている。また、ここの初冬の景色も「定石に背く」ものだ。主な色彩はやはり赤、黄、緑の3色だが、それらは枝先にではなく、ツタと一緒に壁一面を埋め尽くす。縦横無尽に気ままに伸びては広がるツタの色彩豊かな葉が、壁面に絵具を巻き散らしたように絵を描いている。その芸術創作のために、まるで窓すら席を譲り、彼らの気ままな筆づかいを邪魔しないように気を遣っているようだ。

蘇州の「園」と言えば、人々が真っ先に思い浮かべるのは「咫尺の内に乾坤を再造す」(わずかな空間に森羅万象を再現する)と形容される庭園が多いだろう。しかし、蘇州にはほかにも海外で名声の高い公園があることはあまり知られていない。その代表格は虎丘湿地公園だ。相城区と姑蘇区をまたいで広がるこの「都市の緑の肺」では、初冬の景色も期待を裏切らず美しい。濃緑の植生の間にはほんの少しの赤と黄が点在し、生命の息吹を見せ尽くしている。

「この世の楽園」、「江南の水郷」など、蘇州の美称は数えきれないが、おそらくは「東洋のベニス」という呼び名が最も本質をついている。蘇州の水について、白居易は「緑浪東西南北の水 紅欄三百九十橋」(川には新緑を映した水が流れ、そこにかかった赤い欄干の橋は美しい)と詠み、杜荀鶴は「君姑蘇に到りて見ん、人家尽く河に枕す」(君が姑蘇に着いたなら、家々がみな川に面して建っているのが見えるだろう)と詠んでいる。どこの水が最も風情あるかと問われれば、悠久の大運河と広大な太湖にはそれぞれ異なる趣がある。ここには一面の銀世界の冷たさもなく、枯れた藤の老木の寂しさもない。蘇州の初冬の風景図は暖色調に満ちている。これはおそらく蘇州の骨の髄まで刻み込まれた優しさの表れだろう。たとえ厳寒にあっても、ここは常に優しい詩意が浸透しているのだ。