金陵の雪の趣:詩の行間に潜む千年の風雅

雪が降った南京は、まるで金陵の時代に戻ったかのようだといわれる。しかしよく考えてみると、雪が降るか降らないかは、もはや重要なことではない。雪を首を長くして待ち焦がれるその気持ちそのものが、すでに詩趣と画意に満ちていて、寒い冬をまるごと温めるには十分なのだ。

古来より詩の行間には雪の日のロマンが染みわたっている。宋の時代の杜耒『寒夜』にはこうある。「寒夜客来たりて茶酒に当つ 竹炉湯沸いて火初め紅し 尋常一様窓前の月 纔かに梅花有って便ち同じからず」(寒夜に来客あり。酒がないので茶でもてなす。竹炉には火が赤く起こり、湯も沸いた。窓から見えるいつもの月も、梅の花のせいか違って見える)。寒夜は冷え込むが、気の合う友と囲炉裏で茶を沸かし、ともに窓辺の寒梅を愛でれば、暖かさが炉辺から心の中へと広がっていく。詩にある「梅花」は、軒下に咲く現実の風景であると同時に、そばで語り合う知己を意味していて、ありふれた夜を特別なものに変えてくれる。白居易の『劉十九に問う』は、「緑蟻新醅の酒 紅泥小火の炉 晚来天雪ふらんと欲し 能く一杯を飲むや無や」(緑色をしたもろみから醸した新酒と赤い埋み火の炉。夕暮れになって雪が降り出そうとしている。さあ、ともに一杯やらないか)と詠い、雪の日に人を招く優雅な趣を余すところなく描き出している。この詩の劉十九とは、劉禹錫の従兄劉禹銅だと言われている。白居易はこの洛陽の富商と親しく交流していた。暮れなずむ空、次第に濃くなる雪の気配、詩人は小さな火炉に火を起こし、新酒を用意して、招待状をしたためる。この詩では冬の日のまったりとした温もりから後世に伝わるロマンが醸造されている。現在、この詩は雪の日のSNSのお決まりフレーズとなっている。ウィーチャットで友達を火鍋やお茶に誘い合う、それはやってくる友人を待つ古人の雅趣が姿を変えて継承されたものに過ぎない。

雪の日に古人が交わした約束は往々にして、雪に遠路を阻まれて何日も待ちぼうけになったり、ついに会えなかったりした。しかし南京では、「一夜で消える」と言われるその除雪の速さのおかげで、雪上がりの晴れの日の外出は常にスムーズだ。待ち合わせの条件がこれほど便利なのに、同じ街に住む友達と何年も会っていないということがある。なるほど、それは決して風雪のせいではなく、私たちの躊躇する心のせいなのだ。雪の日には、友人との約束以外にも、家族団欒への期待も高まる。劉長卿の「柴門に犬の吠ゆるを聞く 風雪夜帰の人」(柴の折戸で犬が吠えるのが聞こえる。この吹雪の夜に誰か帰ってきたらしい)という詩句は、寒夜に家族が帰宅する温もりを言い尽くしている。また、鄭板橋の「寒家歳末多事無く、一枝梅花を挿して便ち年を過ぐ」(貧乏な我が家では除夜にすべきことがないので、梅の花を一枝瓶に挿して年を越す)には、雪を踏みつつ梅を探す雅趣と新年の喜びが溶け合ってひとつになっている。

雪を踏みしめて梅を尋ねる、それは昔から金陵の冬では定番の雅な趣事だ。王安石は金陵に住んでいたとき、よく鐘山を巡り、定林寺に昭文斎(友人である米芾の命名)を建てた。人口に膾炙する、あの『梅花』「牆角数枝の梅 寒を凌いで独り自ら開く 遙かに知る 是れ雪ならずと 暗香の来たる有るが為なり」(庭の垣根の片隅にある数本の梅が、厳しい寒さに負けずひとりだけ咲いている。遙かに離れていても、どこからか香りが漂ってくるので、それが雪ではないことが分かる)はここで生まれたのだ。はるか千年前、宋の時代の雪の日、王安石が昭文斎で休んでいると、かきねの隅にある枝が雪を被っているように見えた。近づいてみれば寒梅が雪にも負けずに咲いていて、あたりに漂うほのかな香りは驚きに満ちていた。現在、昭文斎は鐘山文学館のなかにひっそりとたたずんでいる。雪が降った日はここに赴き、垣根の角で梅を眺めると、古人の詩意に胸が満たされることだろう。梅の花の強くしなやかな性格には数えきれないほどの志士仁人が心惹かれてきた。「是れ一番寒骨に徹せずんば、いかでか梅花の鼻を扑って香しことあらんや」(骨身に染みる寒さを経験せずに、梅の花が香ることがあるだろうか。いや、ない)という言葉は、まさに梅の寒さに対する生命力を生き生きと描写している。

雪を愛でた古人の境地をどっぷり浸って体験したいなら、明孝陵の紅楼芸文苑はうってつけの場所だ。『紅楼夢』をモデルとしているここは、本のなかの優れた章回を園林造景のイメージ単位にしている。入り乱れるように配置された梅の木と中国建築、幽玄へと通じる曲がりくねった小道など、一歩ごとに景色があり、雪の日には赤い梅が白壁に映える。もし鳧靨裘(野鴨の毛で作った衣)をまとった女性が梅の花の下に佇めば、あたかも劇中に登場する「大観園」で雪を踏みしめながら梅を尋ねる場面の再現のようで、詩の趣満ちあふれている。

南京人の風雅さは、古来のものだ。すでに東晋のころには梅を賞でる習慣があり、明代には雪見の佳話が多く残っている。張岱『湖心亭看雪』には、こうある。崇禎512月、西湖で雪見していた彼は、杭州で仮住まいしている2人の金陵人が敷物を敷き向かい合って座り酒を温めて雪を賞でているのに偶然出会った。張岱の「湖中に焉んぞ更に此の人有るを得んや」(こんな雅趣ある人に湖で出会えるとは!)という驚嘆の一言は、心の雅さに対する南京人のこだわりの表れだ。雪や山水、自然に対するこの愛情は、今日に至るまで変わっていない。南京の「母なる山」である鐘山は、街の四季の移ろいを担っていて、雪が降ると雪見客で溢れる。もし張岱が生き返ったなら、きっとより多くの同士に出会うことだろう。

南京というこの文化的脈絡が滔滔と流れる国家歴史文化名城は、優れた人や物が集う場所だ。朱自清が「南京探索は骨董屋巡りのようなものである」と言ったように、「天下文化の中枢」から「世界文学の都」まで、南京は文学史においてきわめて重要な地位を占める。蕭統の『昭明文選』や劉勰の『文心雕龍』はいずれも鐘山と深い縁を持つ。燕雀湖は昭明太子によって上品さが漂い、定林寺は劉勰の著述地になっている。現在、鐘山文学館は文化的脈絡継承の見届け人に、昭文斎は文学愛好家が満足ゆくまで語り合う書房になっていて、この街の風格に深い文化的滋養を注ぎ込んでいる。

雪の夜の物語には、人の心を打つ友情が欠かせない。蘇東坡が張懐民を夜に訪れ、庭で月を愛でながら夜遊びした話は、「友を訪ねて友を得る」模範となった。また、東晋の王徽之の「雪夜訪戴」の故事は、いくぶん気ままさで洒脱だ。彼は雪夜に舟で友人の家へ向かったが、「門に造りて前に進まずして返る」(門に着いたのに入らずに帰る)、「吾れ本より興に乗じて行き、興尽きて返る、何ぞ必ず戴を見ん」(来たいから来たわけだし、帰りたいから帰るのだ。なぜ必ず会わないといけないのか)という千古伝わる佳話を残した。真の友情とは本来、おそらく過程の愉悦にこそあるのだ。舟に乗って雪を踏む喜びや以心伝心は、すでに会うか会わないかという結果を超越している。まさに蘇軾が『子由の澠池 懐旧に和す』で「人生到る処知んぬ何にか似たる、応に似たるべし 飛鴻の雪泥を踏むに」(人生の行先はいったい何に似ているだろうか。それはきっと舞い降りた鴻が踏んだ雪解けの泥濘のようなものだろう)と記したように、人生は長く、求めても得られないもの、得ても大切にしないものは多い。しかし、その過程で味わう様々な体験そのものが、すでに心地よい旅なのだ。金陵の雪は単なる風景ではない。それは千年変わらぬ詩の趣と人生への洞察を映し出す鏡なのだ。